放電管の発達史
放電管の発明
歴史上で確認される最初の放電管は、1859年ドイツのプリッケル(J.Pluker)及びガイスラー(Gissler)により作られたガイスラー管です。
ガラス製容器の中に相対する一対の電極を設けて真空ポンプにつなぎ、両電極に高電圧を加えると管内の圧力が減少して真空容器中の空気が電離され、放電(発光)します。
この放電はイオンによる二次電子放射であり、冷陰極のために使用が簡単でという特性がありました。
1907年フランスのクロード(G.Claude)とドイツのリンデ(C.P.G.R von Lind)は、ヘリウム・アルゴン・ネオン・クリプトン・キセノンといった希ガスを空気中より効率よく分離する方法を発明し、ガイスラー管の技術を応用してネオンサインを作りました。
これがネオンランプのはしり、ということになります。
ちなみにヘリウムガスは1868年にフランスのジャンサン(P.J.C.Janssen)により、アルゴン・ネオン・クリプトン・キセノンの各ガスは1893年にラムゼイ(W.Ramsay)により相次いで発見されました。
ネオンランプの基礎は一世紀以上前に確立されていた、ということです。
現在のネオンランプに近いネオングローランプは、1914年ドイツのシュレーテル(Schrater)が完成させました。
これは普通の電球バルブの中に2重螺旋電極を設け、バルブの中の空気を排気し、かわりに気圧の低いネオンガスを封入して作成します。
また直列抵抗を使用することで、一般の配電線(100〜200V)から点灯できました。
蛍光放電管が試作されはじめたのは1932年頃でした。
ガラス管の内壁に蛍光体を塗布し、水銀より発する253.7nmの紫外線放射で蛍光体を刺激・発光させる原理ですが、まだ当時は安定した放電を維持するのは難しかったようです。
その後イギリスGE社及びアメリカGE社でそれぞれ研究され、放電を容易にするために若干のアルゴンガスが封入されるようになりました。
最終的には1938年にインマン(GE.Imman)がテイヤー(R.N.Thayer)の協力によって発明したとされております。
ちなみにこの蛍光体の発光について、蛍光波長は常に励発光の波長より長い、とストークスに結論つけられましたが(ストークスの法則)、この法則が適合しない場合も少なくありません。
日本における放電管の歴史
日本において、ネオンランプは昭和2年頃から製作販売されました。
当時は形状も多種あり、電極だけ見ても半円形・鉄兜状・短形板状・円形棒状のものなど種々の形状がありました。
またガラス球部分も、円筒状や茄子型などがあり、径も26mmから4mm弱まで多種に及んでいました。
さまざまな試行錯誤の産物だったのでしょう。
また日本最初の蛍光放電管は第二次世界大戦中、潜水艦の艦内照明用として1940年に当時の東京芝浦電気で開発されました。
主に軍事目的の開発ではありましたが、大和法隆寺の壁画模写の照明用として使用されたことでも有名です。
しかしながら当時の日本ではクセノンガスの製造が出来ず、研究用にドイツより潜水艦で運ばなければならないほど貴重かつ高価な代物でした。
戦後、家庭用電化製品の普及とあいまって、テレビ・ステレオ・炊飯器・洗濯機・冷蔵庫・電子レンジ等の電源表示用に、NE−2型ネオンランプの需要が急増しました。
微小な電流で点灯し、取り扱いも簡単という特性が、市場に認められた結果ということでしょう。
昭和55年頃からは発光ダイオードがデジタル時計・テレビ・ステレオ・自動販売機・冷蔵庫他の家電製品や電子機器の表示用として、台頭しはじめました。
発光ダイオードは超小型で耐震性に優れ、長寿命かつ電子制御が容易なことから、NE−2型ネオンランプのかわりに急激にシェアを伸ばすことになりました。
一方ネオンランプは、その放電電圧特性を利用したカメラのストロボフラッシュの充電表示用に使用され、放電開始電圧が230〜300Vと、高電圧のNL型ランプの需要が増えるようになりました。
昭和60年頃にはパソコンが普及し始め、モニターにはブラウン管ディスプレイが使用されるようになりました。
しかしノート形パソコンには携帯性の問題から液晶ディスプレーが専ら使われました。
この液晶のバックライトには、冷陰極形の蛍光放電灯が使用されております。
ガラス管径6mmΦ位の管の両端に電極を設け、管の内壁に蛍光体を塗布し、水銀とチタンの合金を使用して紫外線を発生させて蛍光体を発光させる点は、熱陰極形と同様です。
これらの電源は、専用のインバーターにより電極間に高圧を加えて使用されてます。
その後バックライトの細径化が進み、管径2mmΦ以下のものまで生産されるようになりました。
これらは液晶ディスプレイのみならず、その他0A機器の光源用としても使用されております。
当社における放電管開発
当社は昭和40年頃よりネオンランプの研究を始め、本格的な量産を始めたのは自動製造機を設置した昭和50年頃となります。
その後も順調に需要は伸び、昭和57年には月産2000万個(国内生産高)以上に達しました。
また用途の多様化に伴ない、形状・寸法も(3.8ΦX10)NE-3.8,(6ΦX27)NE-2等が、明るさも高輝度のランプ等、多種にわたって開発いたしました。
キセノン フラッシュ チューブ メーカーからの要請により、当社も電圧表示(充電表示)用ネオンランプの開発に着手し、昭和52年に電極塗布剤の改良により製品化し、カメラストロボ業界に投入しました。
現在の4mmメインと比べ、当初ガラス管径は、6mm・5mm・4mmの3種類ありました.
またランプ形状はNE-2型を基準に、先端部分を扁平に潰した(F)型、円形レンズ状に整形した(NNRT)型の3種類あります。
当時は特性の安定化及び暗黒効果の対策として、電極に微量の放射性物質 Pm−147を密封線源の状態で使用しておりました。
暗黒効果対策の必要性の少ない事、地球環境への配慮等から技術革新を重ね、Pm−147を使用せずに安定した特性のランプを生産できるようになりました。
近年の主な当社開発商品は2つとなります。
@デジタル表示の電気時計用として準高輝度型で、寿命30,000時間以上のNE−2C
型ネオンランプ
A配線器具スイッチのON−OFF表示用で、緑色に蛍光発光する、寿命100,000時間以上のNE−2GX型ネオンラン
プ(昭和58年製造のランプを定格(100V 150KΩ)で160ケ月約115,000時間以上の実績があります)
この緑色の蛍光体の波長は人間の視感度最大値に近いため、ルクス値以上に明るく感じる事が特徴です。
黄・青・桃色発光等は、上記の理由から緑ほどの明るさを感じる事は難しくなります。
最新の当社開発商品
キセノン フラッシュ チューブ メーカーからの要請により、当社も電圧表示(充電表示)用ネオンランプの開発に着手し、昭和52年に電極塗布剤の改良により製品化し、カメラストロボ業界に投入しました。
現在の4mmメインと比べ、当初ガラス管径は、6mm・5mm・4mmの3種類ありました.
また当時は特性の安定化及び暗黒効果の対策として、電極に微量の放射性物質
Pm−147を密封線源の状態で使用しておりました。
暗黒効果対策の必要性の少ないこと、地球環境への配慮等から技術革新を重ね、Pm−147を使用せずに安定した特性のランプを生産できるようになっております。
またランプ形状はNE-2型を基準に、先端部分を扁平に潰した(F)型、円形レンズ状に整形した(NNRT)型の3種類がある。
レンズ付きフィルムの登場とその爆発的な売れ行きは、当社にも月産300万個以上もの生産を促しました。
その後カメラの小型化に伴い、ランプ形状は3.8ΦX10Maxのものが殆どとなり、放電開始電圧も260〜290V範囲のものに集約されていきました。
そして更に形状も、NE-2型のものから先端部分のチップのない円形状のランプの需要が増えました。
当社ではこの需要に添うべく、従来NE-2型の製造工程中に先端部分を円形レンズ状に整形する方法と製造機械を考案し、ランプの製造を開始いたしました。
このランプの形状は(NL-xxx V-NNRT)と命名されました(xxxは電圧値)。
また製造方法及び製造装置については、下記特許を取得して今日に至ります。
USA特許 NEON LAMP PRODUCTION METHOD AND SYSTEM
Petent No.US6,433,472 B2 Date of Patent Aug..13.2002
日本特許 ネオンランプ、その製造方法及びその製造装置
特許 3294579号
平成14年4月5日